千思万考ー創価学会ゆる活のブログ

創価学会のゆる活会員が、学会や公明党はちろんのこと、哲学や宗教、政治経済、そして時事問題など、縦横無尽に語っていきます。

「師弟不ニ」というイデオロギー

今の創価学会の一番の問題って何でしょう?

 

私に言わせればズバリ「思考停止」です。

 

まぁ学会員でない方に言わせれば、「カルトで盲信なんだから、当たり前でしょ?」ってつっこまれそうですがね。

 

でも中にいた人間から言わせると、「座談会」という地域単位での会合で自由に語り合ったり、日蓮の遺文である御書を一緒に学んだり、教学試験なんてのもあって、結構語り合いや学び合いの場があったんですよ。

 

でも今は組織の中で自由に語り合える空気なんてありません。教学力も落ちて論理的な説得力が無くなっています。

 

原因は大きく分けて二つです。一つは思想的側面。もう一つは運動論的側面。

 

まず、思想的問題ですが、最近の創価学会では「師弟不ニ」という言葉が金科玉条のごとく使われます。

 

もともと師弟不ニとは、師匠に絶対服従という意味などではなく、師匠と同じ志を持って、師匠という模範に学びながら、信仰に励む姿勢を指していました。

 

池田大作名誉会長も、「師弟不ニとは師匠を見つめることではなく師匠と同じ方向を見る」ことだと語っています。

 

ところが、最近では「池田先生はこう言われている、だからこうすべきだ」、「池田先生のために」、「池田先生にお応えする戦いをしよう」といった、先述の定義とは真逆の言い方が、地域の会員や本部の幹部によりなされます。

 

断っておきますが、師匠といっても、先生といっても一人の人間です。人間である以上、その人の言っていることが絶対であるはずがありませんよね。

 

池田氏だって師匠と仰ぐ戸田城聖氏が主張した僧俗和合に限界を感じて、学会が所属していた日蓮正宗と決別しているわけです。

 

不ニの弟子を自称する池田氏ですら、師匠を決して絶対視してはいません。

 

にもかかわらず、近年の教義や会則の改正はご存知の方も多いと思いますが、師匠の「神格化」が加速しています。池田氏を含む初代から三代の会長が「永遠の指導者」とされ、会員が純粋な親しみを込めて使っていた「先生」という敬称がわざわざ会則に盛り込まれました。

 

同時に、全国地域での活動家の激減に伴う活動家一人一人の負担増や、安保法制などの政策の是非を典型とする公明党への不満から声を上げる人が出てきています。

 

ところがこうした内側からの批判を「池田先生の心に背くのか」「池田先生はこう言われている」という風に教条的におさえつけるのです。

 

中には会合に呼ばれなくなったり、連絡が来なくなったりして村八分のような仕打ちに会う人や、あろうことか除名(破門)されてしまう人まで増えてきています。

 

三代会長を神格化し、その権威を利用して、現場の声を抑えつけ、信濃町の本部に絶対服従を要求する風潮は看過できません。

 

ただ、これは本部が勝手に狂ったというより、池田氏の指導の仕方にも問題があったのです。あまりに「師弟不ニ」ということを言い過ぎました。

 

もちろん、それに乗っかって、より一層「師弟不ニ」のイデオロギー化を図ったのが、更迭されたM元理事長を始めとする学会幹部たちなのですから、彼らの責任も当然重大です。

 

結果として、池田氏の指導から逸脱して思考できる人間は著しく減っていき、思考できたとしても問題点を言えば「師弟がない」として信仰そのものを否定されるため、組織の中で何も言えなくなったのです。

 

よって思想的な面では、この「師弟不ニ」というイデオロギーにより、盲信的な会員、物言えぬ会員だけが集まる、思考停止の組織になってしまったのです。

 

長くなってしまったので、運動論的問題点については次回に書こうと思います。