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千思万考ー創価学会ゆる活のブログ

創価学会のゆる活会員が、学会や公明党はちろんのこと、哲学や宗教、政治経済、そして時事問題など、縦横無尽に語っていきます。

政治団体と化した創価学会

昨日に引き続き、創価学会員の「思考停止」という問題についてです。一つには師弟不ニという思想的問題があることをお伝えしましたが、今日はもう一つの運動論的側面についてお話しします。

 

運動論的側面というと、折伏(布教)、新聞購読推進、財務(教団への寄付)など、学会の活動は様々ですが、特に問題視されるべきは公明党への支援活動です。

 

一般的に言われるような政教一致の問題ではありません。むしろ政治活動の自由に対する侵害です。学会指導部では会員がどの党に入れるのも自由であると対外的には弁解していますが、組織内では公明党を支援せざるを得ないような同調圧力が働くのです。

 

例えば、会合に関しては、選挙の時期になると、地域で開かれる学会の座談会で公明党のビデオを視聴します。議員が直接足を運んで支援をお願いしにくることもあります。一時期は選挙活動が忙しすぎて座談会が中止になることもありました。

 

会員への家庭訪問や友人家族への折伏もほったらかして選挙のお願いに駆けずり回ります。

 

このように学会では一度選挙となると、活動のほとんどが選挙一色に染まります。

 

こうなると公明党を支援したくない、もしくは他党を応援している学会員は学会活動そのものができないのです。

 

学会では組織を離れて信仰はないと指導しています。個人の信仰が揺らがないように、組織で支えていく必要があると教えています。

 

組織の中での信仰という姿勢が身についている学会員ほど、公明党を支援できないことを理由に組織から離れることは、心理的苦痛であり、信仰か政治的信条かの大きな二者択一に迫られることを意味するのです。

 

組織を離れたくない、しかし自分の政治的信条や公明党に感じている不満、もっと言えば多忙な選挙活動に時間を奪われることへの不満を抑えつけなくてはならないとなると、何らかの「見返り」が必要になります。

 

そこで大きな役割を果たすのが、選挙活動と「功徳」を結びつける発想です。

 

池上彰氏の選挙特番でインタビューに答える会員が同じことを言っていたでしょう。

 

実際私も青年部の幹部に言われました。「選挙活動は功徳が大きい」と。あたかも学会員が日々唱える題目や折伏などよりも功徳があると言わんばかりです。

 

もちろん選挙活動に熱心な学会員の多くは題目や折伏を蔑ろにしているつもりはないでしょう。むしろ「選挙のおかげでたくさんお題目を唱え、友人や家族に勇気の対話を広げることができる」などと、もっともらしいことを言っています。

 

「私は公明党のためにやっているんじゃない。自分の宿命を変えるためにやっているんだ」と開き直るのです。

 

でも別にそれは選挙でなくったっていい話です。選挙活動をした方が功徳が大きいというのは主観的な問題でしかありません。

 

また選挙活動の見返りを功徳に結びつけることは、「政治への無関心」を助長します。自分が功徳を受けるためなら盲目的に公明党候補者及び党自体を支援しているため、実際の政策の是非には価値判断をしないのです。

 

学会員は政策について考えてないばかりか、知ろうともしません。知っておくべきなのは支援をお願いする際に謳い文句となる「実績」だけ。

 

学会の政治参加への仕方ははっきり言って失敗です。信仰心を利用した選挙活動によって、思考停止を助長し、盲目的に組織に従う人間ばかりが増えてしまいました。

 

民主党に政権を取られても反省しなかった人たちです。一体いつになったら目覚めるのでしょうか。