千思万考ー創価学会ゆる活のブログ

創価学会のゆる活会員が、学会や公明党はちろんのこと、哲学や宗教、政治経済、そして時事問題など、縦横無尽に語っていきます。

一神教の起源(1):迫害と宗教

日蓮日蓮正宗創価学会の教義には、仏法を奉じていると言いながら、どうも一神教的だな〜と感じることが多いんですよね。

 

もちろん「唯一神」なるものとは次元が違いますが、日蓮の「四箇の格言」や日蓮正宗の「日蓮本仏論」など、一神教的な独善性や排他性の著しい教義が散見されます。

創価学会の場合、草創の「折伏大行進」のような過激な運動形態から脱却し、よりソフトな「対話」や他宗教との対話の促進といった、より寛容な路線に変更したように見えます。

 

しかし、それはあくまで対外的なもので、組織内では日蓮仏法こそ真実の教えであり、池田先生の「世界一の哲学」を学ぶべきだ、としています。「創価の正義を満天下に〜!」なんてね。

また、日蓮正宗顕正会などの大石寺系宗派や、共産党などの政治団体まで「仏敵」とされています。(公明と連立組んでる自民党も、かつては「仏敵」だったはずなんですが都合がいいですね。)

「昔に比べたら丸くなったじゃない(笑)」と言われればそうかもしれませんが、創価の「一神教的」な性格は根強く、未だに創価学会の絶対性や無謬性を信じて疑わない思考停止、他の宗教から学ぼうとしない傲慢さといった弊害を生んでいることは事実です。

「宗教間対話」なんて、池田氏や学会首脳陣が他宗教の指導者と対談したり、一部の学術者がパネルディスカッションを開く程度で、一般の会員が他の宗教について学ぶなんてことはほとんどありません。

大体学会員は新聞、会合、選挙に忙しくて、自分の宗教のことすらろくに学んでません。教学試験なんて「アリバイ作り」でしかありません。こんなこと言うと会員さん怒りますが、昔に比べたら易し過ぎますし、そもそも釈迦や天台などの基礎的なところはすっぽかしてますので話になりません。未だに法華経は釈迦が直接説いたものなどと思っている人がいるぐらいですから笑

 

とまぁ話が横道に逸れましたが、日蓮系の宗派は、一神教ユダヤ教キリスト教などとよく似ていると言われます。親鸞系もそうですかね。

 

精神分析に関する論考で知られる思想家・岸田秀氏はこんな興味深いことを言っています。

フロイトの最後の著書『モーセという男と一神教』を読んでいても感じることなんですが、そもそも一神教は、差別され、迫害された人々の宗教ではないかということなんです。(『一神教 VS 多神教朝日文庫、2013年、14頁)

一神教の起源は、遡ればエジプトの唯一神アトン(アメンホテプ4世の宗教改革の産物とされる)とする説もありますが、一般的知名度で言えばユダヤ教を起点としてみてもいいでしょう。

岸田氏は、ユダヤ教が「迫害されて逃亡した奴隷たちがつくった宗教」であること、「被差別者の宗教」であることに着目しています。

人間には「自我」がある。これが厄介な問題であると彼は指摘します。

人間は「自我」というものなしには、生きられません。「本能」に従う動物と違って、人間は自分で考え、判断しなければなりません。自分の考え、判断が正しいとするためには、この自我というものに正当性が求められます。「迫害されている」「差別されている」というのは、この自我が、ひいてはその正当性が危機にあるという状況です。

この自我の危機に際し、防衛反応として産み出されたのが、ユダヤ教においては全知全能の絶対的な存在としての「唯一神ヤハウェ」だったのではないか、というのが岸田氏の見解です。

ここは宗教学者歴史学者の洞察も検証していく余地があると思いますが、弱い自我を支えるために絶対的なものを産み出すというのは中々説得力があります。

「迫害と宗教」ーこれは日蓮創価学会においても重要なテーマですね。日蓮系の宗派の一神教的性格を理解する上で興味深い論考だと思います。