読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

千思万考ー創価学会ゆる活のブログ

創価学会のゆる活会員が、学会や公明党はちろんのこと、哲学や宗教、政治経済、そして時事問題など、縦横無尽に語っていきます。

一神教的なるもの(2): 闘争心と団結心

前回は「正義」にも「魔性」があり、善悪二元論に陥りやすい、というお話をしました。

 

この善悪二元論というのも、やはり岸田秀氏が指摘した「防衛本能」が関わっています。

ドイツの哲学者ニーチェも同じようなことをいっています。

ユダヤ民族が外敵から責められて苦境に陥った際、自分たちを正当化する理屈を考え出した。

自分たちを攻める敵は「悪」であって、弱い自分たちは「善」であると自己欺瞞を行なった。こうした価値の転換により、民族の神は歪められ、そこに正義と悪という二元論が持ち込まれた。

(中野剛志、中野信子、適菜収『脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克』文春新書、2016年、73頁)

 

そしてこの善悪二元論を展開する一神教は、単に自分たちの正当性を保証するだけでなく、戦争を遂行する上でも有益です。 

 

創価学会は「平和主義」を標榜していますが、会員は「戦い」という言葉が大好きです。「啓蒙の戦い」「財務の戦い」「折伏戦」「法戦」等々。もちろん学会員は暴力や殺人を行う戦争には反対の立場ですが、「結果を出す」、「池田先生に勝利のご報告を」という想いが念頭にあるため、どうしても戦闘的なマインドになるのです。

 

そして、団体スポーツや実際の戦争でもそうですが、何事も「団結」しなければ勝てません。そこで、「池田先生に勝利のご報告を」という大義だけでなく、具体的で目に見える「敵」が必要になります。他宗派や脱会者、共産党を「仏敵」とすることで、「団結」を強めようとするのです。

 

草創期から成長期にかけて、教勢の拡大や政治参加に伴い他宗教や政治勢力との摩擦が生じるのは理解できます。社会的弱者が比較的多いとされる学会の組織を守るためには団結しなければならなかったのは仕方のないことだったと思います。

 

しかし、ここまで信徒が増え、多様な層の会員によって構成される学会が、未だに「戦い」や「団結」ということを強調する必要はないでしょう。

 

恐らく、その余裕を持てなくしているのは選挙活動です。選挙は短期の目標ですから、団結しなければ勝てないのです。もちろん公明党が大衆の支持を受けているというなら、組織票に頼ることもないのですが、前年の参院選での公明党の得票数は700万票弱。それでも候補者が当選できるのは低い投票率のおかげです。

 

しかし、学会員の生活レベルも多様化し、情報社会で様々なことを知るようになると、当然公明党に対しても疑問が出てきます。また、活動家が減っていく中で、個々人の負担も重くなり、信濃町に対しても不満が高まってきます。

 

こういう時に、善悪二元論を振りかざして、闘争心を煽り、怒りの矛先を外に向けさせる「仏敵」という存在が便利になるわけですね。

 

対照的に、選挙活動をしなくていいSGIは純粋に信仰活動に専念できています。「SGIの人はいつも笑顔で、先生や仏法を求める心も純粋よね〜!」と婦人部の方々などが口々に言いますが、それは選挙活動しなくていいのだから当たり前です。

 

当然ながらここまで事が深刻になってくると本当に心が荒んできます。選挙によって功徳を得るどころかどんどん活力を失っているのが見えています。いい加減、一神教的な善悪二元論で「戦い」に駆り立てるのは限界にきています。却って内向き志向を助長するだけだということに、少しでも多くの人々が気づいてくれることを願います。