千思万考ー創価学会ゆる活のブログ

創価学会のゆる活会員が、学会や公明党はちろんのこと、哲学や宗教、政治経済、そして時事問題など、縦横無尽に語っていきます。

「オーウェリアン」化する創価学会

いつもご愛読いただきありがとうございます。

 

日本の政治の混迷っぷりは酷いもんですが、創価公明のご乱心ぶりはスケールが違いますね。流石は世界一!を豪語するだけはある。(豪語してるのは学会だけですが)

 

先日、日本会議主催の憲法改正派集会に公明が初参加したというニュースをご存知の方は多いと思います。

http://m.huffpost.com/jp/entry/15697756

当然学会の許可なしに参加はできませんよね。

戦前の日蓮主義者のような右派に変貌していくんでしょうか。

 

学会「創価ルネサンス!!!( ✌︎'ω')✌︎」

日蓮主義者「…呼んだ?( ✌︎'ω')✌︎」

一般人「お前かよ!!!」

個人的にはこんな展開ですよ。

ご乱心通り越してギャグです。

昔は『お笑い創価学会』なんて本が書かれて腹を立てた記憶がありますが、今や「笑えない創価学会」になりました。

 

このままじゃ現代に日蓮仏法……じゃなくて日蓮主義を蘇らせた団体として歴史に名を残しますよ。あれでも未来は「創価学会仏」として名を残すんでしたっけ?

言っちゃ悪いけどそれもギャグですよ。

威音王という2万億の同名の仏が順番に主宰し、衆生を教化してきたという「威音王仏」が由来だと言いますが、「同名の仏」がたくさんいたってだけで、「組織が仏」なんてこじつけもいいところです。

マジメな活動家の方は「違う違う、私達の使命感を感じ表しているんだ!」なんて言いそうですが、だったら「地涌の菩薩」でいいじゃないですか。

 

第一、この会則自体突拍子も無いんですよ。

今までそんなに強調して言ってた節ありましたっけ?

そんなものを会則にまでぶち上げるメリットって何ですか?

安保法案やその他の政策で組織や公明に批判的な会員が急速に増えてきたこの時期に、この会則を入れたのは偶然ですか?

 

ツイッターでのやり取りでも、組織に刃向かう人間は「創価学会仏」の敵だから「仏敵」であるというご意見がありました。

ホントに、本尊論議や日蓮本仏論と言った教義の面ではブレッブレなのに、そういうところは一貫させようとするんですよねー笑

 

しかも、「創価学会は仏意仏勅の団体だ。だから仏なんだ!」「創価学会は仏だぞ!仏意仏勅なんだから言うこときけ!」というトートロジー(循環論法)のオマケつき笑

 

本当にギャグみたいな主張で、全体主義化を進めています。こういうのを「笑顔のファシズム」って言うんですかね。

(あ、でも言われてみると聖教新聞の写真に写る会員さん皆んな笑顔ですね……流石に怒られるか笑)

 

昨日はジョージ・オーウェルの『一九八四年』について軽く触れましたが、本当にオーウェリアンな世界になってきましたね学会は。

小説の中でオーウェルは、「ビッグ・ブラザー」率いる党を次のように描いています。

 

党の掲げる理想は何やらひどく大げさで、恐ろしげで目が眩むようなものー鋼鉄とコンクリート、怪物じみた機械とぞっとするような武器であふれた世界であり、兵士と狂信者が完璧なる一致団結のもとに行進し、誰もが同じ思想を持ち、同じスローガンを叫び、絶えず働き、戦い、勝利し、迫害する国家であり、三億の人間が同じ一つの顔を持つことなのである。(ハヤカワepi文庫、2012年、115頁)

 

ちょっと言葉を変えればほとんど今の組織と変わりません。

さながら信濃町本部はビッグ・ブラザーですかね。

もうちょっと引用しますのでお付き合いください。

 

最終的に、党は二足す二は五であると発表し、こちらもそれを信じなくてはならなくなるだろう。遅かれ早かれ、そうした主張がなされるのは避けがたい。党というものの立場の必然的要請がそれを要求するのだ。経験の妥当性ばかりか外部の現実の存在そのものまで、党の哲学によって暗黙のうちに否定されているではないか。異端のなかの異端とは常識に他ならない。

(中略)自由とは二足す二が四であると言える自由である。その自由が認められるならば、他の自由はすべて後からついてくる。(前掲書、124-125頁)

 

あらゆる自由の中で、言論の自由が根本だというのは興味深い。

確かに言論の自由なくして他の自由を擁護することもできませんね。

ましてや思考まで縛られるわけにはいきません。

 

言論の自由への制限に拍車がかかっている昨今ですが、考えることをやめてはいけないし、発言が制限されても、発言できる場では発言をやめないことが大事ではないでしょうか。