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千思万考ー創価学会ゆる活のブログ

創価学会のゆる活会員が、学会や公明党はちろんのこと、哲学や宗教、政治経済、そして時事問題など、縦横無尽に語っていきます。

法華経の「現世利益」について

どーもーゆる活でございまーす*(^o^)/*

忙しさ&お腹下し気味で更新ペース落ちてます_(:3」z)_

申し訳ございませんm(_ _)m 

 

さて、皆さんもご存知かと思いますが、ついにあのトランプ政権がシリアへのミサイル攻撃を断行しましたね。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170407-00000037-reut-asia

これに対しては安倍首相が大統領の決意を支持すると表明しました。

首相の表明の是非はともかく、平和主義を掲げる公明党、そして支持母体の創価学会からは、今回の軍事行動に関する具体的な声明は出ていません。

井上幹事長は「これから状況を見定めて対応したい」とし、明言を避けました。

http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXLASFS07H0O_X00C17A4EAF000/

もちろん連立政権ですから、不用意な発言で安倍自民との対立と受け止められると都合が悪いという政治サイドの論理は分からないでもありません。

ただ、支持母体の創価学会宗教法人なんですから、人道的な見地から何かしら発言したっていいと思いますけどね。

とはいえ、今後公明が米国の軍事行動を支持する表明を出したら、今度は公明と学会の対立と受け止められるから、それもできないのでしょうね。

まぁ昨日の今日で声明出せというつもりはありませんが、学会の方は恐らく沈黙すると予想します。

政治に遠慮して自由に発言もできない創価学会の平和主義って一体何の存在価値があるんでしょうか。

カトリックのフランシスコ・ローマ法王の方がよっぽど平和に貢献していると思いますよ。去年の報道の話になりますが、シリア内戦に対してきちんと表明しています。

https://www.google.co.jp/amp/s/mainichi.jp/articles/20161226/k00/00m/030/039000c.amp

 

シリアでどれだけ民間人が犠牲になろうが、創価学会の活動家は都議選に奔走中でそれどころじゃないという様子です。

本当にこれが信仰者の姿かと思います。

 

昨日もお話ししたことですが、選挙活動においては、社会的な理念だとか、平和への貢献よりも、「功徳」を受ける事が主目的です。

今月の『大白蓮華』(月刊誌)の座談会御書は、『立正安国論』が教材ですが、「だから選挙活動頑張りましょう」という意図が見え見えです。

しかも、しばしば引用される「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」という一節は、政治活動しなさいなんて意味じゃなく、自分の生活の安寧を願うなら世界の平和を祈っていきなさいという風に解釈するのが自然でしょう。

大体、個人が「功徳」を受けるためだとか、「宿命転換」するためだとかって、そんなの「一身の安堵」の域を出ていないじゃありませんか。

世界平和なんかよりも個人の功徳の為に「都議選の勝利」ばかりを祈っている人々が、「立正安国」と宣うなど片腹痛いですよ。

「世界一の哲学」を標榜している割に本当に視野が狭いと感じています。

 

ただ私は、こうした創価学会という組織の問題も、池田大作氏に至る三代に渡る会長の指導性、日蓮正宗の教学、日蓮の思想、さらには法華経にまで遡って公平に見ていかないと、問題の半分も見えてこないと思います。

法華経から日蓮日蓮正宗、そして創価学会に至るまで、強烈に影響を及ぼしている思想、その一つが「現世利益」です。

特に創価学会の「功徳」論というのは、この「現世利益」という発想と深く結びついています。

法華経独特の「現世利益」観は、一説によれば強烈な「経典信仰」が関係しているとされます。

法華経の前半では「仏塔供養」の大切さに言及していますが、後半では「法華経』自体を崇め奉る」ことを重視しています。

法華経こそが釈迦のといた最高の教えである」とする為には、法華経の絶対性を強調した方が布教しやすいという、かなり政治的な理由があったとされています。

逆に、経典に絶大な功徳があるとしてしまったがために、大乗仏教の重要な概念である「」という考え方を飛び越えて、あらゆる問題を解決する万能薬であることが強調されてしまいました。

だからこそ、法華経に帰依すれば、病気も治り経済苦も克服できるといった現世利益的な発想になっていくわけですね。

佐々木閑『集中講義 大乗仏教』、NHK出版、2017年、94-96頁)

「薬の効能ばかりがたくさん書いてあって不思議なお経だ」と評されているのも無理からぬことです。

 

もちろん現世利益的な面だけを見て法華経を否定しまうのは極論です。

むしろその面を強烈に押し出してしまっている創価学会の方が問題です。

しかし、「選挙をやると功徳が出る」といった「現証」ばかりを強調し、その「現証」を持って「絶対正義」としてしまう今日の創価学会の在り方は、やはり法華経自体にも限界があるという事を示唆しているように思えてならないのです。

法華経にしろ、日蓮にしろ、三代会長にしろ、そうやって様々な人々が説いた教えを「ありのままに見る」(如実知見)努力をしていかない限り、仏法は進化するどころか加速度的に退化していく事でしょう。

また、そうして新しい「価値」を弛みなく「創造」しようという営みを仏法の精神と位置付けていくなら、「創価」という言葉にも全く別の意義を見出していくことができるのではないでしょうか。

(少なくとも「勝利」だとか「正義」といった言葉とは違った意味でね笑)