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千思万考ー創価学会ゆる活のブログ

創価学会のゆる活会員が、学会や公明党はちろんのこと、哲学や宗教、政治経済、そして時事問題など、縦横無尽に語っていきます。

選挙活動は「組織の引き締め」?

皆様ご機嫌よう(´・∀・`)

いつもありがとうございます。

ツイッターなどでも当ブログをご紹介いただき、重ねて御礼申し上げます。

 

悪天候で寒い日が続きますね。

寒がりの私は外ではコート・マフラーが手放せませんし、室内では未だにコタツを使い続けてます(。-∀-)

 

この寒い中、相変わらず創価学会の活動家の方々は、選挙に走り回っていらっしゃいますが、よくやるなぁと思います。

でもその行動力、もうちょっと別の事に活かせないのでしょうか笑

王仏冥合」*と言ったって、政治に限った話ではないし、社会貢献活動に従事する人もいれば、教育や文化交流に徹する人もいます。

(*法華経の本門の教えが国家・社会の指導原理となることによって、この世に寂光浄土が実現するという日蓮の教え。)

選挙やりたい人たちだけで公明党員としてやればいいんです。

財務も本当は必要ないですが、やりたい人だけで財務部員制度を復活させた方がいいと思います。

選挙も財務も全学会員に押し付けるから、ついていけない人々が増えてるわけじゃありませんか。

全員参加しなきゃ選挙に勝てない?

学会票がなきゃ議席が取れないなら、「大衆とともに」なんてスローガンは捨ててしまえばいいと思います。

結局大衆の支持なんて受けてないし、不信感を持たれているままです。

名実ともに創価学会の党になれますよ。

 

地元で役職についている方々の苦しそうな表情見ているとこちらまで辛くなります。会員宅を家庭訪問する時なんか、もはや「大衆とともに」だとか「平和の党」だとかいったことは言わなくて、ただ「功徳が出るから、選挙で一緒に願いを叶えましょう」としか言えなくなっています。

それもそのはず、今は理念的なことを言うと、却ってそれとはかけ離れた公明党の現状をツッコまれるわけですから。

「私たちは公明党を支援するために信心しているのではない」

その通りです。

だから「功徳」と結びつけるのでしょう?

 

社会や日本のためになんて本心でやってない。

自分たちが功徳さえ受けられればいい。

それは民主主義をバカにしているのです。

「大衆とともに」「大衆のために」と言いますが、無責任な選挙活動の結果、生活を振り回される「創価学会員以外の国民」の事など考えているのでしょうか。

それで「民衆仏法」ってギャグですか。

 

そもそも「王仏冥合」にせよ、「広宣流布」にせよ、組織の「政界進出の理由」にはなっても、個人の「選挙活動の理由」にはなってません。

実は学会の政界進出を決定した戸田城聖第二代会長も、選挙活動の理由には別のものを挙げていました。

つまり、「選挙になると会員たちの目の色が変わり、学会員の信心を引き締めるために使えるから」であると。(中野潤『創価学会公明党の研究 自公連立政権の内在論理』岩波書店、2016年、31-32頁)

要するに、選挙活動を「組織の引き締め」と「組織の拡大」の好機とする考え方が戸田氏の時代からあったわけです。

そして池田時代では「選挙に勝つことが信心の証し」ということがより強調されていきます。

 

とはいえ、組織の引き締めにはなっても、組織の拡大には現実の数字が追いついていません。

衆議院選挙の得票数にしても、過去最高とされる2005年の898万票をピークに激減しており、2014年では731万票にまで落ち込んでいます。

おまけに会員数が横ばいの中での2000年代前半の増加は、連立を組んだ自民党選挙協力のおかげでした。

821万世帯の学会世帯数を大きく上回る得票数が得られたのは当然の結果でしょう。

その選挙協力の効果も、学会員の高齢化に伴う集票能力の低下と、公明の政策の変化に批判的な支持者の増加によって打ち消されてしまい、2007年参院選以降の得票数の減少につながっています。

(前掲書、60、63頁)

 

選挙活動など、組織の拡大に直結しないどころか、自民党選挙協力がなければ、もっと得票数を下げることになる始末です。

自民党は公明の選挙協力がなければやっていけない」?

ちょっと何言ってるかわかりません。

 

このまま行けば当然得票数はもっと下がり続ける。政権与党に留まるためにはどこまでも自民党に依存していく。

無論都議会のように、自民党でなくても依存できるならくっついていく。

それでも票が足りなきゃ日本会議にも近づいてネトウヨ票も獲得したいというのが本音かもしれませんね。

 

学会の選挙活動もとうとう行くところまで行き着いたという感じです。

これ以上「功徳」をダシにして「引き締め」を計っても、むしろその分だけついて行けない人が文字通り締め出され、選挙活動から離れて行くことでしょう。