千思万考ー創価学会ゆる活のブログ

創価学会のゆる活会員が、学会や公明党はちろんのこと、哲学や宗教、政治経済、そして時事問題など、縦横無尽に語っていきます。

「改革幻想」に潜む保守性

こんにちは(๑・̑◡・̑๑)

 

昨日はテレビやツイッター、そして職場でも、アメリカのユナイテッド航空のニュースが話題になっていましたね。

先日のシリア爆撃の件といい、ショッキングなニュースが続いています。

様々な情報が飛び交う世の中ですが、激動の時代にあって、情報だけでなく、今を生き抜くための価値観を切に求めている人々も多くいるように見えます。

 

アメリカではトランプ政権誕生以降、全体主義的管理社会を描いたジョージ・オーウェルの『一九八四年』を読む人々が急増していますし、ちょっと前までは、資本主義経済の実態を分析したトマ・ピケティの『21世紀の資本論』が世界的なベストセラーになりましたよね。

混迷深まる乱世をどう捉えるか、問題意識が高ければ高いほど、古今東西のテキストからヒントを得ようという声が高まっているように思います。

 

かくいう私も、そうしたテキストを紐解きながら、思索を続けている身です。

当ブログでは、岸田秀山本七平司馬遼太郎ニーチェチョムスキーオーウェルといった思想家を紹介してきました。

元々本を読むのは好きなのですが、「創価の哲学は世界一!!」を信じ切ってた頃とは、読み方が変わっています。

それまでは古今東西の思想哲学も仏法の一部なのだから、創価の思想哲学を持っているからこそ理解できるという姿勢でした。

単に創価学会を正当化するために読んでるだけじゃないかと言われてしまいますよね。

でも、池田名誉会長のスピーチやら対談集やらで、ゲーテやルソーなどの文豪や思想家の言葉が引用されていると、「この仏法には普遍性がある」と感じたり、「今自分もトルストイを読んでいた」などと純粋に嬉しく思ったりしていたのです。

それはそれで読書にのめり込んだ私の体験なのですが、今度は聖教新聞や学会書籍に段々飽きてしまいました。

先日もお話ししましたが、学会のテキストというのは正解ばかり」なので同じことの蒸し返しがほとんどです。

「正論ばかり」で意外性も新鮮味も感じられなくなっていました。

目新しいのは引用される偉人の言葉ぐらい。

しかしその引用にしても聖教新聞に掲載されるものは活動に使えそうなものに限定されています。

新聞はほとんどサラッとしか読まず、楽しく読めたのは知的な内容の多いSGI提言と対談集ぐらいでした。

まぁそれも代作の事実が明らかになった時点で、教養のあるメンバーのお話を読んで喜んでいただけなのだと思います。

 

そして創価学会の問題に気づき始めてからようやく分かったのが、「創価の哲学に基けば世界の思想哲学も理解できる」というのがとんだ間違いであったということです。

むしろ逆に、創価学会こそは現代文明、大衆社会の問題を体現してしまっている団体であり、「世界の思想哲学に謙虚に学ぶ」ことで学会の思想的問題点も浮き彫りになるということがよく分かりました。

現に、当ブログで紹介してきたテキストは、創価学会を思想面から客観的に検証していく上で非常に有益です。

組織の運営的問題や、公明党の政策に対する批判などから、創価学会に疑問を抱き始めた方は多いと思いますが、私の場合は、思想的にツッコミを入れたくなる点が多くなってきたことの方が大きかったのです。

 

それは創価学会という社会運動の根底に関わる問題で、改革派と称する方々が主張するような、「公明党と手を切る」だとか、「執行部を退陣させる」だとか、「組織運営を抜本的に改革する」といった事では収拾がつかない事を意味します。

だから、歴代の会長の指導性や、日寛教学、日蓮の思想、法華経の成立過程など、外面的なレジームではなく、内面的なルーツを問題にしていく必要があるのです。

外面的な変革を実行したとしても、「池田先生は絶対」「日蓮大聖人は絶対」「法華経は絶対」という点において保守的ならば、また似たような問題を繰り返すことになります。

 

昨日は「組織的選挙活動は公明党員のみ」とか、「財務部員制度の復活」とか申し上げましたが、それはあくまで対症療法であることを認めます。(でもやったほうがいいと思いますよ笑)

 外面的な変革を否定する必要はありませんが、本来は内面の変革を訴えてきたのが創価学会という運動だったのではないですか?

デモにいったり、署名集めたりすることも否定はしませんが、あたかもそれだけが「声を上げる事」とされ、自分たちの運動に参加しない人々を「勇気がない」などと責めるのは御門違いだと思います。

大体そういう方々に思想的な問題点を指摘しても、聞く耳をもたないどころか、「師匠に反した執行部が悪い!公明が悪い!」と破折精神旺盛に(笑)否定してきます。

 

でも考えてもみてください。今まで散々「反逆者」とやらを追い出してきて、それで創価学会が本質的に良くなりましたか?

「師匠」を振りかざして反逆者を粛清するやり方。信濃町にしたって「清浄な学会を汚されてはならない」という「師匠」の教えを振りかざして査問・除名を遂行しているわけでしょう。

そうやって互いに果てしない闘争を繰り広げる。これが内ゲバですよ。

以前にも指摘しましたが、そういうところが中国共産党と本当によく似ています。

 

じゃあ会員にも問題があるとして、「信心が足りない」とか「題目が足りない」とか言う人までいますが、それも違うと思いますね。

哲学者のカール・ポパーは「マルクス主義者はズルい」と愚痴をこぼしています。

革命に失敗しても、「革命が足りなかったからだ、不十分だったからだ」と言い訳するからだそうです笑

確かにそれでは反省のしようがない。 

「改革幻想」に取り憑かれた人々は、根源的な問いかけをする点において強固に保守的なのです。

 

本当に「勇気」を必要とするのは、「根源的な問いかけ」をする事です。

自分のある面を否定する事にもつながります。

それはとても辛い事です。

しかし、それを避けて信濃町と公明を糾弾し、自分たちと同調しない学会員を叱責して溜飲を下げていても、「創価の変革」にはつながらないと、少なくとも私は申し上げておきます。