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千思万考ー創価学会ゆる活のブログ

創価学会のゆる活会員が、学会や公明党はちろんのこと、哲学や宗教、政治経済、そして時事問題など、縦横無尽に語っていきます。

日本型グローバリズム:日蓮主義と八紘一宇

いつもご愛読いただきありがとうございます

ヾ(๑╹◡╹)ノ"

 

さて、創価学会の思想的問題点の多くは、日蓮系宗派全体に関わる課題でもあります。

私がいつも参考にさせていただいている『気楽に語ろう☆創価学会非活のブログ☆』様も、日蓮思想の危険性を指摘されています。

「危険思想になり得る日蓮。」

http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2017/04/13/045803

 

学会員の場合、客観的に日蓮思想を検証していくには、まず日蓮を神格化し絶対化してしまう日蓮本仏論から離れなければいけません。

普通は、歴史的な史実をしっかり読んでいけば、日蓮思想の問題点の否定し難い事がよく分かるんですけどね。

無論、日蓮法華経を弘めるために他国を侵略せよなどと主張しているわけではありませんが、上記記事のご指摘にある様に、国家を志向する日蓮思想の傾向が、好戦的なイデオロギーの土壌になってしまうことは否めません。

 

多くの創価学会員は、日蓮を「反権力」「反体制」の人として尊敬している様ですがこれには誤解があります。

神札を受けなかった牧口常三郎初代会長に対しても、国家主義と闘った人物として、日蓮と重ね合わせたいという願望もあるのでしょう。

学者でも同じ様な見方をする人々はいます。

東北大学佐藤弘夫教授も、日蓮を反体制の人物として左翼的に描く学者のお一人です。

しかし、日蓮の国主諫暁の本質は国の指導者を法華経に帰依させ、誤った他宗への信仰を棄てさせることにあります。

普通に考えれば、「体制内の変革」を提言したのであって、政府転覆を目指す様な「反体制」とは大きく性質が異なります。

日蓮は、権力を否定せず、権力を内側から変えていくことを考えていたのだと思います。

 

この傾向は「向王性」とも呼ばれ、体制側に積極的に関わろうとした日蓮の姿勢を端的に示しています。

戸田城聖二代会長が、政界進出の理念に「王仏冥合」論を持ち出したことも自然な成り行きでしょう。

もちろん、後に公明党という一政党を政権に組み込むやり方が、国主諫暁や王仏冥合の理念に符合したものであるとは思いませんが。

 

また、単に国家を志向するというだけでは、「国家主義」にまではいたっても、日蓮主義にみられる「八紘一宇」の様な「超国家主義」にはつながりません。

この点について、宗教学者島薗進氏は、日蓮が「国家救済のヴィジョン」を持っていたことから、日蓮主義者も「国家を超越する力の存在を見ている」と指摘しています。(中島岳志島薗進『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』、集英社新書、2016年、85頁)

要するに、彼には国家を志向しながら、国家を「相対化」する視点がある、という事です。

時の権力者達を「わづかの小島のぬしら」と呼んだという話は有名ですね。(この言葉が書かれている種種御振舞御書は偽書だと主張する方々もいるようですが、日蓮の性格・信条的には納得できる文言だと思います。)

 

田中智学が唱えた「八紘一宇」のスローガンは、中華思想を応用して「世界を一つの家にする」ことを理想としています。

この発想と日蓮の「国家を超える」視点がシンクロしていくわけですね。

日蓮の国家救済のヴィジョンが国体論と一体化し、日本を中心とした世界統一を実現する、これが「八紘一宇」の根底にある考え方となります。日本型グローバリズムですね。

 

現状の公明党が「八紘一宇」的な発想を抱いているとは断言できませんが、2015年には自民党参議院議員三原じゅん子氏が「八紘一宇」を肯定する持論を展開し、物議を呼びました。

http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2015/03/post-725.php

しかも、彼女は八紘一宇に、「善意による弱者救済」という価値観を見出しています。

日蓮主義的な「善意」に基づく「国家救済」的な理念の事を示しているのでしょう。

八紘一宇の理念は未だ途絶えてはいず、むしろ日本会議の方から積極的に発信されるかもしれません。

 

こうした点から、日蓮の純粋な「超国家的発想」は、やはり危険なユートピア主義につながる可能性を秘めていると言わざるを得ません。

創価学会の様に、安易に「日蓮の平和思想」として称揚する事には、やはり違和感を禁じ得ないと思うのですが、皆さんはいかがでしょうか。