千思万考ー創価学会ゆる活のブログ

創価学会のゆる活会員が、学会や公明党はちろんのこと、哲学や宗教、政治経済、そして時事問題など、縦横無尽に語っていきます。

『創価教育学体系』を読む(1)

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こんにちは。

今年の夏はもう終わるんでしょうか。

異常な天候が続きますね。

 

さて、創価学会員というのは不思議な人々です。

創価学会員は「日蓮仏法は世界一の生命哲学、法華経は最高の経典、創価教育は最先端の教育」と、自分たちがナンバーワンであることをことさら喧伝します。

しかし実際のところ、学会員で日蓮の『御書』全編を読破した人は意外に少なく、『法華経』は日々読誦している一部以外は読んだことすらなく、創価教育の原点である『創価教育学体系』にいたっては名前しか知らない会員がほとんどというのが実態です。

かくいう私もその一人だったわけでして、そうした反省から日々研鑽をしています。

 

創価教育にしても、そもそも一体何だったのだろうか、提唱者である牧口常三郎初代会長の問題意識はどこにあったのだろうか、現在の創価教育機関は創価教育なるものを体現しているのだろうか、等々、疑問は深まるばかりです。

現在の創価教育機関に関しては、聖教新聞でも頻繁に報道されていますが、やれ箏曲部が一位になっただの、やれ弁護士や公認会計士が何人出ただの、やれスーパー・グローバル大学に認定されただのといったものばかり。後は「創立者との絆」という麗しき伝記が載るぐらい。

実績だブランドだといった事にしか関心がないのでしょうか?

創立者にお応えするため、社会で実証を示し、創立者の正義を宣揚する」学生を輩出するという、非常にシンプルな発想しか見えてきません。

別にそれだけなら創価の学校に行かずとも、学会員自体が同じ考えで活動しているではありませんか。

とにかく何でもいいから実績を残して、ブランドを高めようとする発想は、公明党も同じです。

弁護士になるという実証を示すことよりも、弁護士になって何をなしたいかでしょう。

 

牧口氏が生きていたら、現在の創価教育機関を見てどのように評価するのでしょうか。

しかしそれも牧口氏の著作に触れないことには知りようもありません。

ということで「『創価教育学体系』を読む」と題して、氏の教育理論・思想を検証し、現在の創価教育に果たして繋がりがあるのかないのかを見ていきたいと思います。

 

創価教育の理論体系をまとめた『創価教育学体系』は、昭和5年(1930年)11月18日に発刊されました。当時の日本の教育の現状を憂い、独自の教育理論を構想した牧口氏は、弟子の戸田城聖(後の創価学会二代会長)の協力のもと、本書を著しました。

教育改革を運動の旨とする「創価教育学会」も設立するわけですが、残念ながら現在の創価学会で氏の著作を直に読む会員は少ないのが実情です。

 

さて、早速ですが、牧口は(以降敬称略)本書の第一編・教育学組織論の緒論において創価教育学の定義を述べます。

創価教育学とは、人生の目的たる価値を創造し得る人材を養成する方法の知識体系を意味する。

人間には物質を創造する力はない。われわれが創造しうるものは、価値のみである。いわゆる価値ある人格とは、価値創造力の豊かなるものを意味する。この人格の価値を高めんとするのが、教育の目的で、この目的を達成する適当な手段を闡明(せんめい)せんとするのが創価教育学の期するところである。(『牧口常三郎全集 第一巻』東西哲学書院、1965年、11頁)

要約すると、創価教育学とは、価値創造力の豊かな人材を輩出し、その人格価値を高めるための手段を研究する学問であるということですね。

うーん、手段云々の前に、そもそも創価教育学が重んずる「価値」って何?「人格」って何?というところが先ず大事ですね。

「価値」については後々彼の「価値論」が展開されていくわけですが、「人格」にしても具体性が問題になってきます。

こういったところを蔑ろにして手段の議論に走ってしまうのは危険な気がします。

現に創価教育の機関で学んだ人々がどういう価値を生み出していて、どういう人格を培ったのかが正直よく分からないのです。

今後も少しずつ内容を紹介しながら、考えを述べていきたいと思います。