千思万考ー創価学会ゆる活のブログ

創価学会のゆる活会員が、学会や公明党はちろんのこと、哲学や宗教、政治経済、そして時事問題など、縦横無尽に語っていきます。

『テーリー・ガーター』:「いらっしゃい」の一言で受戒

気がついたらアクセス数一万を超えてました。


ブログを再開するまで三ヶ月以上投稿を休んでましたが、ちょくちょく見にきてくださった方々がいらっしゃったようで、お待たせしてしまい本当に申し訳ございません。

 

さて、皆さんは『テーリー・ガーター』という仏典をご存知でしょうか。

原始仏典の一つで、紀元前3世紀にスリランカに伝えられ、南アジアの仏教諸国では広く読まれているそうです。

日本では中村元氏が訳した『尼僧の告白ーテーリーガーター』(岩波文庫、1982年)が一般的に親しまれています。

「テーリー」は女性出家者(尼僧)の長老、「ガーター」(偈陀と音写、略して偈)は詩を意味します。よって「長老の尼僧たちによる詩」が直訳のタイトルとなります。

この姉妹編として『テーラ・ガーター』という仏典もあり、「テーラ」は男性出家者の長老を指すので「長老の男性出家者たちによる詩」となります。

 

実は書店に立ち寄った際に、『テーリー・ガーター』の新訳本(角川選書、2017年)を見つけました。

 

テーリー・ガーター 尼僧たちのいのちの讃歌 (角川選書)

テーリー・ガーター 尼僧たちのいのちの讃歌 (角川選書)

 

 

訳者は『法華経』『維摩経』のサンスクリット原典訳で知られる植木雅俊氏。氏の著作は何冊か既に読んでいて、大変感銘を受けています。

以下は裏表紙に書かれた紹介文です。

釈尊の教えに最も忠実といわれる「原始仏典」。そのうちの1つが、釈尊に直接教えを受けた尼僧たちの言葉でつづられた詩集「テーリー・ガーター」である。リアルな不幸や辛苦ゆえに、釈尊のもとに集った女性たちの、現代にも通じる悩みや苦しみ、そして喜びが赤裸々に記された不朽の名経典が、ここに新訳で蘇った。仏教が本来もっていた男女平等思想を明らかにする名著。

もうこれ読んだだけで「買わなきゃ」という使命感が湧いてきました。

まあ植木さんの本というだけでも読む理由にはなりますけど。

副題も「尼僧たちのいのちの讃歌」と現代的な表現です。

 

特にジェンダー論、男女平等思想という観点から仏教を見ていくのも面白い。いや、ひょっとすると最も大事な視点なのかもしれません。

どちらかというと仏教男尊女卑の教えであるという見方が根強くあります。

実際漢訳仏典では、男女差別的な表現が見られるものもあるのですが、植木氏の研究では経典が中国で漢訳される際に、中国の儒教的考えが訳文に反映されてしまったようなんですね。もちろん、インドでも後々女性出家者の地位が低下していったという指摘もありますが、仏教と十把一からげにして判断することはできないようです。

 

そんなわけで、法華経だけでなく原始仏典にまで遡って、本来の仏教の男女平等思想を探っていく必要があるなぁと個人的にも感じています。

特にゴータマ・シッダールタという人は、自身の振る舞いを通して平等を説きました。

『テーリー・ガーター』では、バッダーという女性が自身の出家のシーンの回想を次のように述べています。

〔すると、ブッダが〕「バッダーよ。いらっしゃい(ehi)」と言われました。それが、私にとっての受戒でありました。

受戒」という言葉を聞くと、煩雑な手続きを通してようやく達成されるものというイメージがありますが、最初期の仏教では釈尊に「いらっしゃっい」と言われて仏・法・僧の三宝に帰依するだけで「受戒」と見なされたのですね。

どっかの宗教団体のように「入会カード書いて、勤行を実践して、会合に参加して…」などとステップを踏む必要はないわけです。

しかもこの「いらっしゃっい(ehi)」という言葉は特別な言い方で、バラモン(聖職者)が「供物を捧げる人」に対して呼びかける際、相手が同じバラモンでなければ普通は用いません。

ヴァイシャ(庶民)に対しては「来なさい」、クシャトリヤ(王族)には「走ってきなさい」、シュードラ(隷民)には「急いで来い」という風に、それぞれ異なる言い方がなされます。

ゴータマは女性出家者に対して「いらっしゃい」という「最上級の丁寧な言葉」を使用したわけですね。もちろん男性出家者に対しても同様に接しています。

ゴータマにとって平等も抽象的な概念ではなく、他者と接する際の具体的な振る舞いによって示されるものであったと言えます。

先ほども述べたように、後世になってからは、女性出家者の地位が低下し、文献においても特に漢訳仏典で男尊女卑的な記述が増えていきます。

先日は富永仲基の「加上の説」を紹介しましたが、原典、オリジナルの教えに焦点をあてつつ、後世に付け加えられたもの、あるいは削除されたものを検証し、どのような背景で変わっていったのかを検証していく作業が必要であると感じる次第です。